はなまるこみち

双極性障害のわたしがゆるく生きる日々を綴ります。ガジュマルを育てています🌱

どうか気付いて?外に見せる私と心の中の私が仲直りするまで

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心の中に突っ込んでくるような内容なので、現在ご体調が思わしくない方は読まないことを勧めます。もし体調が良くても穏やかな内容ではありませんのでご了承ください。これは私の心の葛藤をノンフィクションで書いた記事です。

 

すれ違うきっかけ

「どんなときも明るくしなきゃ」
「同じテンションを保たなきゃ」
「イライラしても怒らないようにしなきゃ」
「笑顔でいなきゃ」

これは双極性障害になる前の私のことです。私は小学生のころまでは大人しくて真面目な子でした。運動はそこそこだったけど作文は大得意。県知事賞や全国奨励賞をもらって自信に満ち溢れた楽しい日々を送っていました。

しかしなぜか悪口を言われていたのです。コミュニケーション能力が高くなかったことが問題だったようです。基本的に1人で読書をしたり、教室にある水槽の金魚やカメを見たりするのが好きでした。

人生で初めて自分を否定されたような気がしました。静かに過ごすのが好きな自分、真面目な自分、コミュニケーションをうまく取れない自分、それじゃダメなんだと思ったのです。

そして私は目覚めてしまったのです。
その日からテンションを上げてニコニコするようになりました。1人で過ごす時間も減らして、みんなと一緒に遊ぶようになりました。とても面倒だったけどトイレにも一緒に行きました。

するとよく分からないけど友達が増えました。嬉しかった。やればできるんだと思いました。まるで新しい自分に出会えたような気もしました。そうです。このときから私は「明るく振舞わなきゃ友達は作れない」「どんなときも明るくなければいけない」と生きていくのです。

 

悩みのない人間の真実

中学校に入っても高校に入っても私は明るく振舞いました。大好きな祖父母やずっと飼っていたペットが亡くなったときも、友達に無視をされていたときも。とにかく笑顔を心がけ、暗い気持ちを抑えて見ないようにしていました。

そのため私は「悩みがなさそう」「どんなときも明るくて強いね」と言われるようになりました。言われれば言われるほど『本当の自分は違う。誰もわかってくれない』と思うようになりました。本当の自分も本当の友達も分からなくなっていきました。

大学に入って演劇を始めました。役作りをするときに毎回苦しかったのを思い出します。私は自分が分からないからこそ、うまく役に入れなかったり入ったとしても混乱してしまったりしました。演劇は1年半で辞めました。

大打撃を受けたのは就職活動でした。自己分析をするたびに私はいつも涙が出ました。心の中に抑え込んでいた本当の自分が泣いていたからです。『やっとこっちを見てくれたね』と。

でも私はその自分を見ないフリをしました。私は強い人間だ。大企業でエリート街道をゆくんだ。会社員を数年経験したら教員になるんだ。そんな弱い自分じゃやっていけないんだ。

私はついに自分を否定しました。

結局就職活動はスイスイ上手くいって大学4年の4月に大手生命保険会社の総合職と大手製薬会社のMRに内定。「やっぱり私は強いのよ。弱い自分はいない。私は明るくてパワフルでかっこいい女なの」

心の中の自分は小さく座り込んでいました。

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クリスマスローズ:私の不安をやわらげて】

 

お願いだから

その年の10月内定式に欠席しました。人生初のうつ状態でした。ついに心の中の自分が『もうこっちを見て!』と大きな声を出したようでした。自分がどれだけ自分を傷付けてきたのか、本当の自分を封じ込めることがどれだけ辛かったのかに気付きました。生きているようで生きていなかった。

2月ごろには復活し卒論と代替課題で単位を取り終えました。”わたし”は「あのうつ状態は疲れてただけなんだ。本当の自分は強いんだ」と再び私を封じ込めました。

社会人になり世界が明るくキラキラして見えたような気がしました。
「ほらね。”わたし”は素敵な道を歩いてく」
『ねぇなんで。なんでいつも見ないフリするの』

この頃から心の中の私と外に見せる”わたし”が50 : 50くらいになりました。”わたし”は絶対に弱いところを見せてはならないんだと、さらに明るく振舞って弱い部分を指摘されると怒るようになりました。どうしても弱くて小さい私を認めたくなかった。また嫌われるかもしれない。バカにされるかもしれない。それが外に見せる”わたし”の本音だった。

毎日を150%で生きなければ、弱い私がポロっと出てしまいそうで常に精一杯振る舞いました。課長の前でも先輩の前でも同期の前でも。

8月後半”わたし”は2度目のうつ状態になりました。もう本当に限界だった。ビルを見ても線路を見てもあのことしか考えられなかった。外に見せる”わたし”に力は残っていなかった。

心の中の私は外に見せる”わたし”に最後の力を振り絞って『ねぇ、もういいんだよ。気付いてよ』と言った。涙が止まらなかった。

”わたし”はほんとうは強くないんだ。

1回目のうつ状態よりも2回目のうつ状態はひどくて半年経っても回復しませんでした。

 

再生と再会

このまま回復しないのは絶対にいやだ。”わたし”は少しずつ転職活動を始めました。新しい場所で新しい自分をスタートさせればまた元気になれる、そう信じていたのです。

友人の紹介で3月末に私立高校の講師として採用されることが決まり、4月末に保険会社を退職しました。”わたし”はまた私を封じ込めました。

「ほら見なさい。何度だってやり直せるの。教員という夢にも近づいてるでしょ。あなたが何と言おうと”わたし”は弱くなんかないの。もう黙っていなさい」
『なんで?もう私の存在には気づいてるのに!なんでいつもそうやって無理するの!』

”わたし”は新しい職場でも明るく振る舞ってしまったのです。元気で明るい・面白い・優しいというのが私のイメージになりました。”わたし”はまたそのイメージを保たなければと必死になりました。生徒の前では弱さを見せてはならないと思い込んでいました。

そうして9月の初めに3度目のうつ状態が顔を出し始めました。”わたし”はもう限界なんだとメンタルクリニックに飛び込みました。


『もう自分を苦しめるのはやめて』

このとき初めて心の中の私が心強くて頼もしい存在に見えました。

 

歩み寄りと希望

「ごめん」

”わたし”は知った。自分を押し殺して生きることほど苦しく残酷で辛いものはなかった。生きているようで生きていないような日々だった。やっと解放されたと思った。だから言った。

「何度も何度も無視してごめん。そして”わたし”が大切なことに気が付くまでずっと訴えかけてくれてありがとう」

”わたし”は知った。
”わたし”を諦めない人間はただ1人”私”だった。

 

私は転院し双極性障害という病名がついた。

自分を押し殺して生きてきたから精神疾患になるとは限らないし、私の元職場には自分を押し殺してエリートとして生きている人たちもいた。だからどっちがいいのかは分からない。

でも私はこれ以上自分を封じ込めて生きるような生き方はしたくないと強く思っている。
弱くても、暗くても、カッコわるくてもいいから本当の自分でいたい。結局そっちの方が楽しくて私が自分を好きで居られるんだもん。

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【ネメシア:偽りの無い心 / 過去の思い出】