はなまるこみち

双極性障害のわたしがゆるく生きる日々を綴ります。ガジュマルを育てています🌱

双極性障害3年目、2016年の振り返りと来年の目標

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現在2016年12月31日の22:12。

2016年も残すところあと2時間切りました。そこでこの1年を振り返ってみようと思います。今年は休職したり退職したり、病名がやっと決まったりといろいろなことがありすぎたので時系列にしてまとめました。

この記事を書いている今は幸せな気分なのに、1年の半分以上は悩んだり泣いたりとボロボロだったんだな~と思うと人間わるくないかなと思います。

 

2016年を振り返る

1月

保険会社休職中

私は2度目のうつ状態(2015年9月~)で自信を無くしたまま、未だに体力が戻らず休職していました。2015年の1月もそうしたように2016年の初詣でも『今年も健康でいられますように。ただそれだけです。』と神様にお願い。

今年こそはどうか健康でいさせてほしいと願い始まったのです。

 

2月

未だに休職中

2月頃から転職サイトを見て過ごす日々を送りました。2月になると日照時間も長くなって気持ちも少し明るくなり、私はちょっとずつ将来のことを考えられるようになりました。

 

3月

未だに休職中

3月は退職しようと決めた月でした。もう全国転勤の会社に戻ることはできないと思ったからです。当時の人事部長と副長がはるばる私の住むど田舎に来てくださり、「復職するときには時短勤務から始めていけば大丈夫。異動の話もしてみるからもう一度頑張れないかな。」と言ってくれました。

でも戻れなかったんです。戻ったらまたうつ状態になるかもしれない、死にたくなってしまうかもしれない、ご飯が食べられなくなるかもしれない。怖かったんです。部長はまた少し考えて決断してほしいと時間をくれたので、冷静に考えることにしました。

そして3月末にはなんと友人の紹介で転職先が決まりました。地元の私立高校の講師です。『会社員を経てから教員になりたい』と考えていたので飛び付きました。私は人生を立て直せると信じていました。

 

4月

保険会社退職

結局復帰することができずに退職しました。東京本社に出向き退職手続きをしました。人生初の退職願を書きました。そして帰りの電車の中では泣きました。保険会社のことは好きだったからです。上司に怒られたときにはカラオケや飲み会に誘ってくれて励ましてくれる同期や先輩たち、張り切りすぎていると「無理だけはするなよ」と気にかけてくれる優しい課長、素敵な職場でした。

ただもしまたうつ状態になってしまったら…という気持ちが強くて戻れなかった。直接お会いして最後の挨拶はできない人ばかりでしたが、今でも本当に感謝しています。

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スイートピー:ほのかな喜び / 門出】

 

5月

ついに地元の私立高校での勤務がスタートしました!5月〜8月はとても元気な時期なので、8時間労働も問題なく始められました。授業はゴールデンウィーク明けにすぐに始まりました。教育実習から2年ぶりに教壇に立つのでかなり緊張しましたが、2週間くらいで慣れました。

 

6月

梅雨の時期です。精神疾患を持っていると体調が悪くなる人が多い時期ですね。しかし今年は元気だったのです!驚くほどに。地元に戻ってきた安心感なのか体調も安定していました。飲み会も積極的に参加していました。(アルコールはほとんど飲みませんでした)

 

7月

6月に体調が崩れなかったので自分の体力に自信を持って7月を迎えました。うつ状態を秋に2度経験している私は、夏に予定を入れ過ぎると秋に倒れるかもしれないということは分かっていました。分かっていたはずでした。

しかし!大バカものぉぉおおぉ!!!

予定は詰め詰め。土日も友達との予定、平日は飲み会、2泊3日の仙台旅行。やってしまったのです。どうしても予定を埋めないと気が済まないわけではなく、勝手に予定を埋めちゃうんです。睡眠時間は5時間あればOK、休みなんていらない、そんな感じになっていました。

 

8月

7月の予定入れ過ぎを猛省。今月は『日曜日だけは絶対に予定を入れない』そう決めて過ごしました。母や妹にも協力してもらって予定を入れ過ぎないように心掛けました。…成功。

しかし8月半ばROCK IN JAPAN FESTIVAL(毎年茨城県で開催される音楽フェス)の前日に眠れなくなりました。急に人混みに行けるかな?明日はロッキンで1日外に居られるかな?行けないかもしれない。とても不安な気持ちになり3時間しか寝られず。夜は不安感が強かったのですが朝には体調が戻ったので行きました。
藤巻さんの「粉雪」と「スタンドバイミー」は最高でした!

 

8月末体が重くなってきた。

 

9月

1週目にはすでに、うつ状態の波がやってき始めているのが分かりました。楽しかった授業なのに目の前の生徒が怖くなってしまった。下痢が続く。ご飯もほとんど食べられない。吐き気・めまいもひどい。この初期うつ状態をこじらせたらまた死にたい日々が続く、そう考えたら怖くなり職場を早退して病院に駆け込みました。

2度目のうつ状態のときに通ったメンタルクリニックから、精神病院に転院しました。そして双極性障害という診断に変わり、9月いっぱい休ませてもらうことになりました。やっと病名がつきましたが絶望的でした。

 

10月

休職延長

体調は戻らず10月も休ませてもらうことになりました。私立高校の先生は公立のように代わりの講師はいません。そのため私は10月末には退職するか復帰するか、決断をしなければなりませんでした。答えは決まっていました。…退職。

とても良い職場でした。同僚の先生は明るくて気さくな人ばかり。ちょっと手強そうだと思ったベテランの先生はたくさんご飯に誘ってくれたり、校長先生とは何回も世間話をしたり、毎日が楽しかったんです。でも戻れませんでした。全国転勤をやめて地元に帰ってきて、例年以上に気を付けて過ごしていたはずなのに私はうつ状態になりかけた。双極性障害の怖さはとても大きかったんです。

 

退職願は泣きながら書きました。どうしても辞めたくなかったからです。それなのにどうしても怖くて戻れなかったからです。このときほど精神疾患の無念を感じたことはありません。

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【白いアネモネ:期待 / 希望 / 真実】

 

11月

退職後1週間はボロボロでした。ご飯もろくに食べられず、泣いてばかりいたような気がします。ただその悔しさを紛らわすために、オンライン家庭教師とランサーズでのライティングに専念しました。『なんとしてでも人生を立て直したい』それが私の唯一の想いでした。

オンライン家庭教師もランサーズも私に元気をくれました。この生き方もアリかもしれない、そう思えたのはオンライン家庭教師とランサーズのおかげです。11月の後半にはやっと前向きな気持ちになれました。この頃には9月から始めた双極性障害の治療も合い、鬱転せずに過ごすこともできました。

 

12月

ランサーズで目標金額を超えました。オンライン家庭教師の生徒数は3人に増えました。双極性障害になってよかったことも多いかもと思えるようになりました。もちろんまだまだギリギリを生きています。

今年はなんとかうつ状態を初期で見抜いて食い止められましたが、双極性障害の波に乗るのはまだまだ難しいようです。

 

2016年は荒波だった

双極性障害は感情の起伏を波にたとえられることが多いので、”感情の波乗りサーファー”になろうと考えたりもしますが、今年はいまだかつて経験したことのない荒波でした。

うつ状態で休職 → 退職 → 転職 → 軽躁状態 → うつ状態になり休職(双極性障害に診断名変更)→ 退職 → 在宅ワーク

 

1年に2回ずつ休職と退職、そしてやっと病名がついて在宅ワークをやることになる。こんな経験はこの先もなかなかできないはず。この1年は決して易しい道程ではなかったです。

 でも今年は病名がついたことにとても感謝したいです。それから病名がわからずに軽躁とうつを繰り返していた私の周りに居てくれるみなさんには心から感謝しています🌸

2016年、今年もありがとうございました。

 

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2017年の目標

双極性障害も私の今後は予測不可能ですが、来年の目標を5つ立てました。 

  1. 双極性障害の波に乗る
  2. カウンセラーの資格を取る
  3. オンライン家庭教師をやっていく
  4. ライターの収入を今の3倍以上に
  5. 取材ライターに挑戦する

来年は心の仕組みを勉強しながら、在宅ワークを軌道に乗らせる1年にできたらいいな~と思っています。もちろん目標を達成するには「健康」が大切なので無理はしないように心がけながら。双極性障害に関しては、うつ状態だけでなく躁状態も初期で気付けたら嬉しいな。

 

それではみなさん良いお年を✧︎◝︎(*´꒳`*)◜︎✧︎˖

あなたにも私にも素敵な1年が訪れますように願います。2016年ありがとうさん*